自己紹介
はじめまして。大田区大森在住の滑川と申します。
ここでは私の先祖調査及び地元の昔の事、活動について書いていこうと思います。
家は代々海苔漁業を生業としておりました屋号を丹右ヱ門(たんえもん)と言います。
(大森の海苔漁業は昭和38年に埋め立ての為終了してます。)
今では屋号で呼ばれる事は殆どなくなりましたが、70代以上の当時を知る方からは今でも「たいむさん」、「たいむどん」と呼ばれています。
幼少期、祖母のお客さんの「たいむさんの所は・・・」との会話をよく聞いていて何故その様に呼ばれているか確かめたら,
「うちの屋号だよ。」と教えてくれました。
家の先祖の初代にあたる方は丹右ヱ門という名です。嘉永2年生まれの
大正9年没の71歳でした。当時はカメラが当たり前に無かった時代。仏壇には肖像画にて掲げられています。
幼少期、父より「この人は粂次郎(くめじろう)さん。」と聞いていました。
名前が二つあり、当時は疑問に思っていましたが、ここ数年で『襲名』されているという事が分かりました。まだそのあたりの知識が一切なかった為です。
残念ながら家に資料が残っていない為、分かる限りの詳細については追々書いていこうと思います。
まず、先祖調査を開始した理由について。
『父が他界した』という事が大きなきっかけで、合わせて祖母が認知症であることから「昔の事を知り、語り継ぐ人が家にいなくなってしまった」という事に危機を感じた事が始まりです。
大正15年生まれでいっぱしの漁師であった祖父は自分が2歳の時に他界。父は小学5年生の時まで手伝い、きつかったので嫌な思い出しかないとの事で当時の話は全く聞きませんでした。
家は現在の土地に定着した丹右ヱ門を初代とする滑川の本家です。本家であるのに家の昔の事を知らないのはまずいと思ったと同時に、当時の先祖の姿・海苔養殖時代を知る方の生の話を聞けなくなる事が年齢的にあと10数年も残されていないのではないかという時間の心配がありました。
ばりばり海苔養殖を経験された方は80代以上の方が殆どであると思います。大森の海苔に関するものは今や国指定の重要有形民俗文化財となっております。私は、昔の事をよく知る高齢の方の記憶は勿論の事、地元の海苔養殖時代を知る方の記憶は宝だと思っております。
自分の家族ではできなかった為、『元気なうちに昔の事を知る方の話を伺う』事がいかに大切かを痛感しております。そしてそれを後世へとつなげていく事が先人の努力を語り継ぐ結果になるとも思います。
という訳で行動に移してちょこちょこ更新していこうと思います。