大森海苔 丹右ヱ門の記憶

~300年の歴史がある海苔漁場であった大森の過去と現在~

先祖調査:除籍謄本

今回は除籍謄本及び戸籍についてです。
戸籍編成は明治5年から始まり、時代(法律)の流れに沿い姿を変えてきました。
改正した時代から名をとり明治〇年式戸籍、大正〇年式戸籍といった様に呼ばれています。
では新しい書式から古い書式にさかのぼりおおまかではありますが説明していきます。


今の戸籍は夫婦(親子)単位で作られています。
夫、妻、長男、長女、次男といったもので、
祖父母や孫は含まれません。子供が結婚(婚姻で新戸籍編)し、夫婦が死亡して戸籍内の人が全員除籍されると戸籍謄本から除籍謄本へと変わります。
因みにこの書式は平成6年式戸籍と呼ばれ、コンピュータで作られた横書きのものです。それまでは原本をコピーしたものを発行していましたが、電算化することによってディスクに保存、編集が出来て迅速に対応をすることを可能にした改正でした。現在も使用されている為現行戸籍と言います。




次に、戦後の改正で作られた昭和23年式戸籍
これ以前が手書きで縦書きの書式になります。(自分はこの縦タイプの書式が見やすくて好きです。)
相続での使用などで見かけるかと思いますが、これは戦後にそれまでの民法での家(家族)制度から改正された初めての戸籍です。上記の現行戸籍が作られるときにこちらの戸籍を参考にデータを移します。その、もとになった戸籍の事を改正原戸籍といいます。要は、その時代の戸籍が改正される時に参考とする前の戸籍を改正原戸籍と呼んでいるのです。



その前の戸籍は戦前の家制度の時代、大正4年式戸籍です。現在大田区で取得できる最古の戸籍です。戸主を筆頭に祖父母・父母・孫・婿養子等様々な続柄が記載されています。
ここで、最古と書きましたが実は除籍謄本には保存期限なるものがあります。今では除籍謄本になってから150年間保存になっていますが、平成22年6月以前は80年間の保存でした。平均寿命が延びた故の改正です。その為、先祖調査で戸籍を遡って行くと、この廃棄処分に当たります。その場合はもう取得できません。その代わり廃棄証明書を無料で発行できます。ただ、無いことを証明するだけの書類なので相続以外なんにもなりませんが・・・・

ただ、除籍謄本の廃棄というものは期限が定められているものの、処分するかどうかは自治体の判断に委ねられています。現に母方の直系で船橋の方の戸籍を取得しましたが、明治19年に編成されたものが現存しており、約130年前の先祖の家族構成が分かりました。生年月日も文久、弘化、安政…一番古い方は祖母の欄で天保元年生まれの方が記載されていました。江戸元号の生年月日が分かるのは凄いですよね。当時は大きな出来事で改元されていた為、元号が頻繁に変わっています。これをきっかけに今では慶應から天明まで覚える事が出来ました。(元号の順番だけ)

話がそれたので大田区の内容に戻ります。大田区は以前は大森区蒲田区でしたが、戦後の昭和22年に合併して今に至ります。そして埋め立てで面積が増えていき、今では23区内で最も大きい面積となっています。それに伴い人口も増加し、平成29年の統計では鳥取県島根県、更に高知県の人口をも上回ったそうです。すなわちそれだけ膨大な量の戸籍が存在しているという事で、保管する場所・費用の問題が出てきます。それを考えたら処分は致仕方ないと思う反面、家系の繋がりが細かく分かる貴重な資料を何故廃棄するのかという気持ちもあります。せめて「廃棄される期限が迫っています」と通知が来れば、一部の住民は「家族関係の分かる資料」として発行していたはずです。そもそも、保存期限なんて関わる職種や系図を作成されている方位しか知りようがないと思います…。


大正4年式戸籍の話に戻ります。
一つ前の記事の画像を見て頂ければわかりますが、前戸主の横に不自然な空欄があります。これは昭和22年まで存在した身分制度である族籍が記載されていました。大名の末裔、日本の貴族制度である華族、武士の末裔である士族、そして平民。と大まかに3つの族籍が記載されていました。ですが、現在空白になっているということは何かあったということですが、それは後述していきます。
※因みに士族が全員武士の子孫であるとは限りません。平民も然り、当時は養子・養嗣子(家督相続させるためにとった養子)・奉公人(契約で家事・家業の手伝いをする者)等が多かった時代。お金で身分を売買するという事もあったようです。確実に武士だと分かるのは江戸時代の分限帳を見れば分かるかと思います。(武士が全員載ってるわけではないですが…)




時代は遡り旧民法の家制度によって編成された明治31年式戸籍。家を単位に一族をまとめてより分かり易くするもので、これと同時に細かい身分登記簿というものも出来ました。ただ、この身分登記簿は作業の大変さから、大正4年式に移る際に廃止されています。(今では全て廃棄されている為取得・閲覧は不可)この書式の特徴は、戸主の欄の隣に「戸主ト為タル原因及ビ年月日」という項目がある事です。隠居や前戸主の死亡、分家や就籍(無戸籍の者が家庭裁判所にて戸籍をつくる事)等理由は様々です。これまでの戸籍に当たり前のように記載されている父母の欄が出来たのも、この戸籍からです。



そして、廃棄されていなければ現在取得できる最古の戸籍。明治19年式戸籍です。今に続く戸籍の元になった戸籍というイメージです。
婚姻・死亡・養子縁組等で除籍となった場合、その人の欄はバツが付きます。離婚(離縁)した方をバツイチと呼ぶ語源はここからきています。
この時代の戸籍は現在では不自然な空白が多く見られます。先述した族籍の話にも結び付くので、こちらも今後書いていきます。
こちらの書式では男系が強かった時代、続柄に母の名前が記載されていない事があります。『〇〇長男』『〇〇養子』等ごく簡単な記載です。
中には空欄のものもありますが、父母しっかり記載されている場合もあります。今後変わっていく戸籍から見ると、実に情報があっさりしていて身分事項欄に『明治〇年〇月〇日死亡』としか記載されていないものや、空欄のものもあります。これは全国で書き方が統一されていなかった為で、明治31年式からはしっかりとしたものになりました。そもそも戸主とは、家の全権限を持つ者で武家家父長制が基です。
そして、戸籍とは明治維新後に富国強兵を目指した大日本帝国が徴税・徴兵を目的としてつくられたのが始まりです。
因みに世界で戸籍があるのは日本・中国・台湾のみです。




冒頭で明治5年より戸籍編成が始まったと記述しましたが、実は明治5年式戸籍というものが存在していました。
当時、戦国時代より続く十干・十二支(こちらは有名)を使用し年月日を表わしていました。

甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸(き) の十干と、
子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥 の十二支
の二組を合わせて年月日・時刻・方角を表わします。元は中国天文学からきています。
よく昔深夜2時頃は「うしみつどき」でお化けが出るなんて言葉を本で見たり、聞いたりしたものです。
その由来は、陰陽道において鬼門の方角である為、鬼・幽霊が現れる不吉なものとされているのです。
よく知られる「丑の刻参り」なんてものもここからきている様ですね。


話が脱線しました。明治5年式戸籍、その年を表わす十干十二支の組み合わせから壬申(みずのえさる)、通称じんしん戸籍と呼ばれています。
これは戸籍というには今までのイメージとは異なったもので、記載されている内容も大分違います。くどい様ですが、これも族籍の話に結びつくため割愛。結論を先に申しますと、昭和43年に閲覧禁止及び永久封印されています。



長くなってしまいましたが、豆知識をはさみながらある程度は説明できたと思います。
書式の画像があれば尚理解しやすいですが、そこはご了承ください。
次の記事は割愛した族籍等の話についてお話していきたいと思います。