大森海苔 丹右ヱ門の記憶

~300年の歴史がある海苔漁場であった大森の過去と現在~

先祖調査:族称

 

前の記事に書きました、族称などについてお話したいと思います。

 

明治維新後、四民平等によりそれまで士農工商以下の身分であった穢多(エタ)・非人が平民に編入されました。

所説ありますが、私は主に以下のように捉えています。

 

穢多

死体解体や皮革処理などを死体を扱う穢(けが)れた仕事を生業とする者。

 

乞食等を追い出す番人の役割をする者。浮浪者・犯罪を犯した者。

 

概ね、この解釈で問題ないと思います。

 

 

士農工商(穢多非人)は明治に族称と姿を変え、華族・士族・平民(あと卒族という下級武士の身分があったが平民に編入される)になりました。

しかし平等とは表向きで、華族には優遇制度があったり、穢多非人であった者達を新平民元穢多と分け区別しました。

これが明治の戸籍に記載された訳で追々問題が起こります。そこで明治5年式(壬申)戸籍が封印されるに至るまでの経緯を説明します。

 

当時戸籍は戸主、本籍が分かれば誰でも取得できた為、婚約の相手方が壬申戸籍を取得し身分が元穢多・非人と分かり婚約破棄。また、戦後の就職の際にも壬申戸籍を先述と同じく取得し拒否される等身分を探る者が非常に多かった為、社会問題とし昭和43年法務局長通達により永久封印とされました。

 

そもそも「誰でも取得できる」事が問題であるのに直系血族にも見れなくするのは極端な対応だと自分は思います・・・。

因みに、この壬申戸籍は檀家寺(自分の先祖の墓がある寺)や氏神(地元神社)等の記載もあり、これまでの戸籍のイメージとは違うものです。

 

 

実は戸籍の前身とも言えるものが江戸時代にありまして、それは宗門人別改帖と呼ばれるものです。キリスト教弾圧の為、その家が何処の寺に属し、どのような家族構成であるのかをまとめたものです。

これは現代では図書館にある〇〇区史、〇〇市史等に見やすいように活字化されてまとめられています。

 

実は自分がこの宗門人別改帖を探しているときに「その土地の〇〇史に見やすく転載されれいる」との情報を知り、大森南図書館にて分厚い何冊もの大田区史を探りました。結果は…

 

 

 

 

先祖が記載されているものは見つからず!

 

 

 

 

そして後日ではありますが非常に残念な文を目にしました。

 

 

 

大森区蒲田区の古文書は戦災に寄り壊滅的な被害を受け大半が焼失した。」

 

 

この文を見つけた時は本当にがっかりしたものです。

唯一江戸の先祖の家族構成が分かる資料だっただけに余計に戦争を憎たらしく感じました。

 

 

戸籍に話は戻り、壬申戸籍が封印される理由となった族称ですが、後の明治19年式・明治31年式・大正4年式まで族称欄がありました。

今では全て塗抹処理(修正液)され、不自然な空欄となっています。

身分事項にも婚姻を例とすると、本来

「明治八年四月四日大森村平民滑川一郎長女入籍ス」という文が

「明治八年四月四日大森村  滑川一郎長女入籍ス」

というようになります。

 

実は族称以外にも人権問題視された事項がいくつかあり、一部紹介すると

 

「私生子」・・・婚姻関係に無い相手との子

「庶 子」・・・妾(愛人)の子

「出生、死亡の場所」・・・刑務所等の場合

 

等です。「私生子」の欄は今では「  子」になっています。

※女性であれば「  女」となります。

 

 

 

 

以上、色々戸籍についてお話しましたが、

ひとつ私の現存する家系最古の戸籍について思う事は・・

 

 

 

字が汚すぎる

 

 

手書きの戸籍の為、書いた人間が雑な字だと解読困難になります。滑川家の大正の戸籍は、現在所持している戸籍の中で一番汚いです。

大正4年式以前が特に酷い物が多い印象です。更に、旧字体だけでなく草書体、崩し字もある為、さっぱり分かりません!

 

参考に↓を見て下さい。私の曽祖父の姉にあたる方で、「さだ」と読みます。

左多の変体仮名ですね。

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母の欄は「いそ」です。

い楚の変体仮名です。女性の場合、大正以前は変体仮名の二文字の名前が多く見られます。

 

更になんとまぁ酷いことに続柄を見て下さい。

長女次男となっています。実に適当ですね。 

ただの誤記の消し忘れで、ある意味レアです。

そして中でも汚すぎて、無知の素人が一番解読するのに時間がかかった文が↓です。この方は初代丹右衛門の奥さんで、滑川家戸籍で唯一現存する江戸生まれの方です。元号嘉永で2年後にあのペリーが来る時代です。

 

1行目読めますか?

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「入籍年月日壬申以前不詳当村並木政五郎亡長女」

です。始め「入籍年内は」と見てました。そして「不詳」の文字がここの所やっと分かりました。色々な戸籍を見たり学んだりすると、自然と何が書かれているのか予想出来てきます。因みに当村との記載ですが、この戸籍は元大森村のものなので同じ村を指しで当村と書かれています。

仮に滑川町の戸籍で、婚姻や養子縁組などで同じ町の戸籍に移動してのあれば、当町〇〇となります。

 

壬申(明治5年)以前の入籍なので、江戸時代に結婚されているという事ですね。しっかり記載されていた物も見たことありますが、文久や慶応といった幕末での入籍でした。

 

 

この、みなさんの母については

「原戸籍ニ因リ知ル事能ハサルニ付記載省略」と書かれています。

つまりこちらの改正原戸籍(明治書式)に書かれていない為知る事はできないという意味です。

因みに写真は現存していない為、どのような顔なのか分かりません。理由は写真が嫌で逃げ回っていた為です。

 

当時は写真を撮ると魂を抜かれてしまうという考え方もあったみたいです。

 

カメラで頭を過りましたが、かの最後の将軍。徳川慶喜は晩年カメラに没頭されていたようですね。徳川の将軍は大正まで生きておられたと考えれば、そう昔の話でもない気がしてきます。

 

 

 

戸籍の話に戻ります。漢数字も今とは違い、

「明治拾弐年参月拾日誕生」等、慣れないとすらすら読みにくいです。なんにせよ、調査を始めた時より圧倒的に知識が増えたので、この面の成長は自分ながら嬉しくなります。

 

最後に、上記の「誤記の消し忘れ」に関してですが、現在取得できる古い戸籍に稀ではありますが族称や私生子等の消し忘れがあるものが存在します。あったらラッキーですのでよく読み取ってみて下さい。