ついに発見、明治19年式戸籍
私が調査を始めて早3年が経とうとしていますが、ずっと探していた大田区が廃棄した当家の明治の戸籍を発見する事が出来ました!
曽祖父菊蔵の妹が海苔問屋に嫁いでおり、聞き込み調査をしていく事で初めは知らないとの話でしたが、改めて単語を出して確認した所、こちらの孫娘の方が平成初めにルーツ調べをされて、それぞれの戸籍を無いというまで辿っていき、それを保管してあるとの話を伺いました。
平成初期であれば、これは確実にうちの明治の戸籍を出されているなと確信が持てました。お店の為、後日確認して連絡してくれるとの事で楽しみに待つことにしました。
しかしながら、1月以上経つも連絡が無かった為訪問しに行きました。
そしたら「忙しくて連絡を先延ばしにしちゃった。」との事で、まとめていた資料を準備して頂いておりそちらを楽しみに見させて頂きました。
すると…
細長い縦書きの戸籍が!
これぞずっと探し求めていた現大田区では取得不可能の明治19年式戸籍です!
遂にずっと謎であった元次郎さんの証明となる欄を見る事が出来ました。
前戸主の欄を見て分かる様に前の名は丹右ヱ門で、隠居した後に当家初代となる粂次郎さんが丹右ヱ門襲名した日も記載されていました。
しかしながら、元次郎さんの欄に明治3年に他界した妻の名と誰の何番目の子なのか記載がありません。丹右ヱ門が名跡(代々継がれる名)であるので、元次郎さんが長男であると仮定すると、
戸主粂次郎さんからみた続柄なので「祖父丹右ヱ門長男」として記載されているはずでした。
何より妻と父の名が判明しなかったのは残念です。
しかしながら、前までの情報では元次郎さんの誕生元号は不詳との事でしたが、しっかりと文政元年と記載されています!
西暦だと1818年ですが、かの有名な測量士伊能忠敬が73歳で亡くなった年です。
そして誕生元号が分かった為、没日から引くと享年を知る事が出来ます。
83歳で他界されている事が分かりました。
直系の先祖では2代目助次郎さんと同じ年で一番長生きされています。
これを考えたら元次郎さんの父は
30歳までの出産時 寛政(1789年~1801年)生まれで、
30代での出産時 天明(1781年~1789年)となるのでかなり遡れた事になります。
しかしながら、こちらの明治19年式戸籍は明治25年に編成されているのでその前の元次郎(丹右ヱ門)さんが戸主の戸籍があったはずです。
こちらには江戸時代生まれの粂次郎さんの兄弟・妻も記載されていたと思われるので、一切知らない名がかなり見られたと思います。
上記の戸籍も江戸時代からの転籍前である番地になる為、別世界になります。
こちらの戸籍は年代的に昭和後期には廃棄されていると思うので探し出すのは絶望的です。
さらに古文書は戦火で焼失している為調査はここまでとなります。
しかし、大田区史の活字化された古文書に1つのみ大森村のものを見つけました。
武蔵野国荏原郡六郷領西大森村検地水帳・元禄十年十二月のものです。
1600年後期の為、明治維新後の東京府とは違い現埼玉・千葉の土地等も武蔵野国の一部です。
その中で当家の丹右ヱ門の名が記載されていました。
※複数ありましたが画像は一部のものです。
江戸時代は幕府により移動を禁じられており、丹右ヱ門の名も他では確認できない為、これは確実に先祖であります。
ここから、少なくとも1600年代からの名跡だと分かりました。
江戸時代の記録はこちらだけになりますが、ここまで遡れたので
良しとします。
いよいよ出来る事が限られてきたので、抜けが無いか資料を確認していこうと思います。