大森海苔 丹右ヱ門の記憶

~300年の歴史がある海苔漁場であった大森の過去と現在~

信州善光寺

5月には腰を壊して行けなかった善光寺へ再チャレンジしました。
善光寺といえば、誰もが人生に一度は行くべき所と言われています。
今回も石碑調査に向かいました。


東京からかがやきで長野駅へ出発し、

約二時間で到着。

丁度昼に着くようにしたので、駅内で昼食にします。


明治亭というカツ屋が気になったので、ここに決めました。信州鹿と信州豚のソースカツ丼です。
鹿肉はさっぱりしていて美味でした。

f:id:nameto:20190708151223j:plain

外に出ると駅がの綺麗な外装が目に入ります。

f:id:nameto:20190708151311j:plain

駅から善光寺へは2㎞あり、バスで片道150円で行けますが道中楽しみたいため歩いて向かいます。 



道中寄り道をして、とある寺に凄いものがありました。なんと700年も前のお墓です。

f:id:nameto:20190711092138j:plain


そしていよいよ信号を渡り、善光寺へ到着。

f:id:nameto:20190711092550j:plain


敷地から仲見世通り、山門にかけて石畳が敷かれています。これは、1700年代に二名の方より寄進されたもので、長野市文化財になっています。

f:id:nameto:20190711093140j:plain

f:id:nameto:20190711215401j:plain

歩いていくと仁王門が目に入ります。
こちらの建造は宝暦2(1752)年ですが、弘化・明治と火災で焼失し、大正7(1918)年に再建されたものです。

f:id:nameto:20190711215525j:plain

更に歩いていくと見事な山門が。
こちらはなんと、寛延3(1750)年に建てられ大地震を耐え、火災を避けられて平成の大改修(2002~2007)まで当時のままでした。改修は老朽化によるもので、建築年数と同じ5年がかりで行っています。

f:id:nameto:20190705224543j:plain

門の中には全国の善光寺と名のつく寺の数などが日本地図で説明されています。


そしていよいよ本堂へ。
こちらは度々火災にあうも、元禄の火災を最後に徳川幕府の命で7年かけて宝永4(1707)年に再建され今に至ります。明治28年に国宝指定されています。

f:id:nameto:20190711215647j:plain

当家は代々善光寺でも先祖供養をして頂いており、その証書が数枚神棚に残されています。
せっかくなので父の三回忌の祈祷をお願いしました。

指定された時間に集合し、首から帯をかけて本堂へ向かいます。祈祷申込み者は一般参拝者よりも前に行けます。
今回はなんと自分一人のみの申し込みであり、お坊さんからも「本日は貸しきりでございます。」と壇の前に正座し背後から数十人の視線を感じながらの祈祷でした。


その後はお戒壇巡りという、極楽浄土へ行けるようにする為に、ご本尊の下を一周(45m)回る行事があります。こちらは、本堂の階段を下りると真っ暗闇です。右手で壁を伝いながら前の人とぶつからないようにゆっくりと歩いていきます。
因みに、途中に極楽の錠(壁についている輪)というものがあり、それに触れると極楽浄土が約束されるとか。
前の方の人が触れる音が聞こえましたが、私は分からずにそのまま通りすぎてしまいました。


そもそも私は死後の世界は信じていないから特にどうといった訳ではないですけどね。



本堂を後にして、西側にある大勧進(だいかんじん)という所に向かいました。
こちらの門はなんと寛政元(1789)年建造です。

f:id:nameto:20190711215752j:plain

奥には武田信玄上杉謙信らの位牌が安置されています。善光寺は戦国武将でも馴染みのある場所なんですね。
因みに、門前の橋から下の池を見るとアカミミガメが数匹見えます。その中にスッポンが一匹だけいましたのでとりあえず撮影しました。

f:id:nameto:20190711215911j:plain

最後に、大勧進の隣にある大本願という所に寄って事務の方と色々な話をして善光寺を後にしました。


敷地内の石碑や名が刻まれている灯籠など全て目を通しましたが、先祖の名が記載されているものはありませんでした。



そして歩いて長野駅方面へ戻り、ホテルに向かいます。いつも遠出の時は、源泉かけ流しの温泉付きの歴史ある旅館を選んでいますが今回は節約して、運びの温泉があるビジネスホテルにしました。

暗くなってから町へ夜遊びに行き、腹ごしらえをしてホテルに戻りテレビでお笑いを見ていました。
これはYouTubeが見れるテレビで、とりあえずおすすめに上がってたのを見て深夜を迎えました。

f:id:nameto:20190711220910j:plain

ここから調査とは関係ありません。せっかく遠出したので観光に行きます。長野駅からバスで松代へ向かい、六文銭の真田家に関する家・武家屋敷を見て回りました。
因みに観光案内所にて、300円で夕方まで自転車を借りることが出来ますのでこちらを利用しました。(水曜日は定休日がかなり多かったです)


屋敷を一通り回り、松代象山地下壕という所へ行きました。
ここは第二次世界大戦末期に本土決戦の砦に極秘に作られたものです。労働者には多くの日本人・朝鮮人が働かされ、多くの方が亡くなっていきました。
終戦後、証拠隠滅の為に関係史料は全て焼却されて真実は闇に葬られました。その為、どのくらいの人数で誰が亡くなったのかすら分かりません。
大日本帝国時代は上の考えがとても恐ろしいです。仮に戦争に勝利していたら今でも軍事国家で、貴族制度も継続していたのではないでしょうか。

f:id:nameto:20190711222004j:plain

内部は非常に広い直線になっています。公開しているのは黒い部分のみです。

f:id:nameto:20190711222103j:plain


観光は無料。ヘルメットは必ずして行きます。
どんどん進むにつれて、当時の過酷な映像が頭に浮かびます。内部は私一人なので少しばかり恐怖感がありました。

f:id:nameto:20190711222439j:plain
f:id:nameto:20190711222520j:plain
f:id:nameto:20190711222608j:plain
f:id:nameto:20190711222658j:plain

最深部は急にかなりカビ臭くなりました。
一定の距離にまとまってトンネルを支えている丸太に真っ白で大量のカビが生えていた為です。

胞子をなるべく吸い込まないように行き止まりまで確認し、来た道を引き返しました。

戦争当時の環境に行くといかに今が恵まれているのか改めて感じられます。


最後に真田家を祀ってあるお寺へ墓を見に行きました。ここは安永、天明、弘化等の江戸時代のお墓がゴロゴロあります。
当家の菩提寺は歴史は1200年代からですが、ほぼ昭和からのお墓で江戸時代のものはほぼありません。
戦災の被害の有無で大分変わってきますね。

f:id:nameto:20190711223637j:plain


小腹が空いた為、焼きたてのパン屋さんでアンパンマンの顔をしたチョコパン、クリームパン、フレンチトーストを食べていきました。ふわっふわでクリーム・チョコがたっぷり入っており味も大変美味でした。あまりに美味しかったので、新幹線用にも買っていきました。店員のおばさまは大喜びです。

f:id:nameto:20190711225059j:plain

そして帰路へ着きました。



当家ゆかりの寺社。
残すは和歌山の高野山、三重の伊勢神宮となりました。正直もう石碑は期待せずに観光目的でいずれ向かおうと思います。