大森海苔 丹右ヱ門の記憶

~300年の歴史がある海苔漁場であった大森の過去と現在~

一橋大学へ

二週間程前、大田区史に記載されている元禄時代武蔵国六郷領西大森村検地水帳の原本である古文書を見に、所蔵されている国立の一橋大学付属図書館へ行ってきました。



見事な建物が目に入ります。
この環境だと、嫌いな勉強でもやる気が起きる気分になります。

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予めメールにて見たい史料の予約をしていたので、受け付けもスムーズにいきました。


上記の検地水帳に合わせて元禄時代大森村絵図も用意して頂き、1600年代後期の史料を生で拝見させて頂きました。


保存状態が非常に良く、とても300年以上経ったものだとは思えません。
写真は丹右ヱ門が記載されている所を中心に撮っていきました。
丸々貼付すると問題があるため、一部のみ紹介します。


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中田弐畝廿歩 丹右衛門

とあります。江戸時代の土地の単位は、

町 ちょう  3000坪
反 たん   300坪
畝 せ    30坪
歩 ぶ    1坪(たたみ二畳)

となっております。

中田とは、田んぼの等級のことを指します。

田んぼも、畑も収穫量によって上、中、下とランク付けされます。つまり畑だと上畑、中畑、下畑となります。
つまり、この土地は中ランクの田んぼ60坪を丹右衛門が所有されているという事です。

因みに、廿は20の事です。古い戸籍や過去帳、古文書には20日の事を廿日と記載しております。これは百や千と同じような漢数字です。
異体字として卄という字も同じ意味で使用されます。


他にも丹右衛門名義の田、畑、屋敷があり元禄当時どれだけのものを持っていたのかが分かりました。
郷土資料の当家の聞き込み資料では、昭和初期まで蒲田や糀谷の所有する土地で米を作り売っていたと記載されていました。
半農半漁時代の姿がうかがえます。

にしても、この丹右衛門は何代目なんでしょうか。
最後の丹右衛門、粂次郎が当家の初代となりますが、年数から考えても10代は越えているのかと思われます。…なぜこの様な大事なことを伝承されていないのかが不思議です。
因みに、私が加入しているコミュニティで先祖名、兵右衛門を持つ方で、薬商売をされたのれんに(十二代 兵右衛門)の記載があり代数が分かったなんて羨ましいお話がありました。



大田区史にはこちらだけでなく、慶應義塾大学に明治2年の田畑帳を所蔵していると記載が。
大学の所蔵されているデータベースを見ると当、荏原郡大森村の資料がありました。

まだまだ調べる価値はありそうです。