大森海苔 丹右ヱ門の記憶

~300年の歴史がある海苔漁場であった大森の過去と現在~

羽田神社例大祭

7月の週末金土日の三日間は羽田神社の祭礼です。

f:id:nameto:20190728213924j:plain

私は本日、日曜日の午後から参加してきました。

今年は祝奉 天皇陛下御即位記念として、55年ぶりに牛車が出ました!
その前は昭和39年の東京オリンピックの時で、現在全国に広がる海苔養殖の技術を確立した大森の海苔漁業が完全に終了した年でもあります。


牛車は鳳輦渡御(ほうれんとぎょ)といい、起源は御輿より古く古代中国の皇帝等が乗られていたものです。
因みに鳳輦(ほうれん)は鳳凰の飾りがてっぺんにある神輿で、渡御(とぎょ)とは列をつくって町を巡行することです。


f:id:nameto:20190728215122j:plain]

f:id:nameto:20190728215149j:plain

あいにく、午前中は行けなかったので生で見れることが出来ませんでした。下の写真は会の先輩が撮られたものです。


12時には鳳輦渡御宮入の為、私が到着した12時30には完全に牛はいなくなっていました。
話を聞くと、牛はなんと京都から一頭40万でレンタルしてきたとか。牛も長旅だったんですね。



午後3時より、パレードが始まります。
羽田神社の祭礼は14町会の連合であり、14基の神輿が集まります。して、集まる場所は橋を渡り羽田空港が見える所です。
f:id:nameto:20190728221400j:plain

f:id:nameto:20190728221431j:plain

羽田神社例大祭は担ぎ手3000人、
見物客30000人とも言われています。

橋には、かつての漁師町を彷彿させる大漁旗に会の名前が記載されています。

因みに鳥居が見えるも、本殿は見えないと疑問が出てくると思いますが、これは戦争が大きく関わっています。


話は逸れますが、羽田が出来たのは江戸時代中期。埋め立てによって出来た土地であり、それゆえに水害を多く受けていました。開拓していくにあたって、それらから守るために穴守稲荷神社(文化元年)が建てられました。(現在の穴守稲荷は移転したもの)
穴守の由来は、堤防が決壊し水害にあった後に堤防の上に社を建てたら海の荒れがおさまった為、「堤防に開いた穴の害から人々を守る」という意味からつけられています。

明治になると温泉が湧き、旅館が建ち、潮干狩りなどを楽しめる場となり観光地となりました。

1931(昭和6)年8月25日には羽田空港が開港され、日本の玄関となりましたが戦後1か月後の1945(昭和20)年9月21日にGHQによって羽田一帯を没収され、軍用地にする為羽田の住民に48時間以内の強制撤去を命じます。(しかも、これは警察らが交渉して延長したものであり、初めは12時間以内の強制退去という鬼畜ぶりである。)

それも羽田江戸見町、羽田穴守町、羽田鈴木町に住む3000人にです。人々は泣く泣く生まれ育った土地を、発表されてから僅か二日で離れることになってしまいます。敗戦国の定めですがなんとも横暴ですね。

同時に、羽田空港にあった穴守稲荷神社は撤去されました。しかしながら、上の写真の赤い大鳥居はどう撤去しようにも作業中の事故・作業員の病死が続いたため、「祟り」を恐れて大鳥居だけはそのまま点在し続けていました。

戦後半世紀過ぎてもそのままでしたが、羽田空港の拡張の祭に、ど真ん中に点在する鳥居は空港というものを考えると非常にじゃまになってしまうので、住民の希望もあり撤去せず移転することとしました。
現在の土地に移動したのは平成11年2月。私が9歳の頃です。関係者が祈祷をしたりと、非常に慎重に行ったとの事でした。

そのような経緯があり、現在のポツンとした大鳥居の姿があるわけです。
f:id:nameto:20190728231117j:plain
f:id:nameto:20190728231240j:plain


話は祭礼に戻りまして、
時間になったら順番に巡行が始まります。
ここ、羽田神社の担ぎ方は以前説明した船が大波で揺れる姿を表すヨコタ担ぎです。

「よこー、たてー、はいーれ、一二の三!」の号令で左右の担ぎ手が跳ねて神輿を大きく揺らします。

f:id:nameto:20190728225644j:plain

まずは、神輿が上がって揺さぶる。そして
橋を渡り、そこで長めに揺さぶる。

f:id:nameto:20190728231654j:plain

ここから産業道路へ向かって進みます。
ヨコタ担ぎはある程度の時間揺さぶったら、
「よい、よい、よいよい!」の号令でヨイトという神輿を水平に運ぶ進み方に変わります。

「ヨイト、ヨイト…」と移動していき、
ある程度進むと再び、

「よこー、たてー、はいーれ。一二の三!」で神輿を揺らす。このように練り歩きをしていきます。


途中、高架下をとおりますがここではかなり長く5分以上揺らし続けます。
ヨコタ担ぎは跳び跳ねる方も、軸を支える芯の方もかなりきついです。その為、ここでは頻繁に入れ替わります。
f:id:nameto:20190728230436j:plain

f:id:nameto:20190728230722j:plain


本日は午前は雨でしたが、午後はからやんで暑い中の巡行でした。
給水所では、航空会社の方がお茶やレモン水を配られていました。


産業道路前までいくと休憩に入ります。

そして、休憩後に宮司による祈祷の後に、14町会の神輿がそれぞれの神社へ戻っていきます。


そして宮入です。
非常に長く十数分揺らしていまして、私も間間に入ってげっそりしてました。

f:id:nameto:20190728233944j:plain


終えたあとは三本締めで終了。今日はよく動きました。
因みに、担がないつもりでいましたが、今の自分が何処まで通用するかというのと、やはり見ているだけではきついというのもあり、頻繁に入っていました。

おかげで肩に神輿だこができかかったので、よーくマッサージして悪化しないように処置したいと思います。

来週は行けるか分かりませんが、蒲田神社祭礼です。こちらは江戸前担ぎなので、是非いきたいですね。