大森海苔 丹右ヱ門の記憶

~300年の歴史がある海苔漁場であった大森の過去と現在~

お宝写真発見

先日家を整理した際に、もう無いかと思っていた昭和初期の古い写真が沢山出て来ました。

その中で貴重な海苔時代のものが複数あり、大喜びです。


その中の一つ、海苔が終った時の記念を浦守稲荷神社に奉納した写真がありました。
祖父はそれぞれ古い写真の裏に、年代や詳細を書き込んでくれているので当時のどのような背景で撮影されたかが良く分かるのでありがたいです。

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写真の裏にはこの様に記されていました。

『昭和参十九年五月吉日 浦守稲荷神社の社殿の前にて、徳川時代より三百有余年の長きに渡り、先祖代々により営み受け継がれてきた全国随一の本場浅草海苔の名産地である大森漁業協同組合の漁業が昭和参十九年日本で初めてオリンピックが開催される為に、羽田空港と都心を結ぶ高速道路1号線建設の為に国と都に漁業権を買い上げられ我々組員は漁業補償によって先祖伝来の乾海苔採取業として最終のピリオドを打った。 東川丁場、甲東川一部、二部、浦守丁場、乙東川一部、二部、三部、森ヶ崎丁場 右の各丁場の名称と組合員の氏名の記念』

そして、当丁場19名の名が記載されていました。



漁場権放棄に関する議題で当時の漁業組合は荒れに荒れたそうです。小さい頃より海苔採取業を行ってきて、それが一切出来なくなると死活問題です。補償金は出るもののいつまで持つか分かりません。
因みに、都から補償金として330億円が決定し、世帯によって金額が決定していきました。

今年はオリンピックが延期しましたが、これは前回のオリンピックでの話。昔の写真をずっと見ているとそう遠くない事のように思えます。