分家
前回から早くも3ヶ月経過してしまいました。
この間に色々あり、一部記事を非表示にしました。
年が明けてからコロナの驚異で遠出も出来ず、モチベーションも下がりつつあります。
地元青年会の活動は当面自粛。祭礼も勿論中止です。無形文化財となっている水止舞も中止になりました。
昔から代々続いている行事の中止や、商売を辞めなくてはいけない方も増えており非常に厳しい世の中になってきました。今後観光業界も心配です。
そんなわけで、今回は分家についてです。
一族の繁栄には分家が重要になってきます。
最近、ふと考えたら当家は分家が少ないのではと思いました。
年代を遡っていくと、
江戸時代の分家は不明です。嫁いだ人が多かったのかな?
①明治に入って明治6年生高祖父の傍系は弟が3人。内、一人は入夫婚姻により姓が変わっています。こちらの系統は現当主が未婚の為断絶となります。故に2件の分家。
②明治35年生曾祖父の傍系、弟が2人。内、一つは現当主が未婚の為断絶。しかし、姉が婿養子婚姻をされています。その為2件の分家。
③大正15年生祖父の傍系は、1人が高祖父の関係に入ったので現在1件の分家になります。
④昭和28年生父の傍系、弟が2人。しかしながら、皆女性の為分家は無し。
そして、私弟が結婚すれば1件の分家になります。
明治に入ってから分かる限り(明治25年以降)だと、単純計算で5件~となっていますね。
昭和初期辺りまでの兄弟が多い時代でも、この数です。男性の生まれや早世の影響で大きく変わっていきますね。
しかしながら、少子化の世の中。今後は三人兄弟でも多い方になるため、核家族化の影響も含めて本家・分家という言葉も無くなってきそうですね。
因みに、戦後変わった民法上分家というものは実態ではなくただの通称になります。
現状、甥っ子でわかる限りの直系8代目になりますが、結婚や男児が生まれれば9代目に。女児のみだと、婿養子をとるのかどうか‥20年以上先の話ですが、ついつい考えてしまいます。
そして、自分が元気で長生きして、うまく甥っ子の子供が見れればぎり10代目を見れる事になります。その時は元号が新たに変わってる可能性もあり、海苔時代を知らない私が最年長になれば、これまで多くの方から聞いた話がより貴重なものになるでしょう。
そのようなわけで、一族の生き字引として、次世代の者に話を継いでいくのも面白い生き方かもしれませんね。まだまだ先の話ですが。
例え、それなりの年で最期の時を迎えても、調べた・聞き込みしてきた事は資料に残してあるので心配無しです!
よくスポーツでも言われる
継続は力なり。
先祖調査に擦り合わせると
継続、世代継承して行くことは力なり と感じたのでした。