大森海苔 丹右ヱ門の記憶

~300年の歴史がある海苔漁場であった大森の過去と現在~

先祖:二代目助次郎①

以前紹介した初代丹右ヱ門の長男助次郎さんについて紹介していきます。

 

 

生まれは明治6年。小柄ながら働き者で海苔養殖時代、当家で最盛期を築き上げた方です。「滑川家は大森で一番の海苔屋だった」と地域・親族の方に良く聞いて育ちました。ならば沢山記録が残っているだろうと、調べ始めた時に主に参考にしている大森漁業史を片っ端から読んでいきました。

 

 

結果は、打って変わって一切名前が記載されていません。父丹右ヱ門と息子菊蔵の名は確認出来ましたが、助次郎の名がありません。どういう事だろうか。期待していた分、疑問が湧いてきました。「第一人者としてやっていたと話は聞いていたが、主な記録が残る漁業史に名が無い為、代表はされていなかったのか?」と思いました。

 

しばらくした後に、コミュニティの方から「東京公文書館の情報検索で、大森 滑川で調べたら、いくつかの滑川さんがヒットしました。」との話を伺いました。

 

早速調べてみると…

 

 

 

大正10年3月1日

区画漁業権存続期間更新免許(荏原郡羽田町地先海面、区画漁業第1種漁業海苔〓建養殖業、海苔、荏原郡大森町代表者滑川助次郎)

 

大正15年5月13日

滑川助次郎外23名代表者滑川助次郎、海苔、大森町地先東北方沖合区画漁業期間更新免許漁業原簿登録

 

昭和6年5月23日

區画漁業権存続期間更新免許(大森町森ケ崎東北沖合、海苔、代表者滑川助次郎)

區画漁業権存続期間更新免許(大森町森ケ崎東南沖合、海苔、代表者滑川助次郎)

區画漁業権存続期間更新免許(大森町森ケ崎東方沖合、海苔、代表者滑川助次郎)

 

昭和6年9月15日

區画漁業権存続期間更新免許(大森町地先沖合、海苔、代表者滑川助次郎)

 

 (一部画像)

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と、この様に漁業免許に関する資料で代表として記載されている資料を複数発見できました!広い範囲で代表をされていた確実な記録であり、これは感激しました!やはり同志の情報網は大変ありがたいです。

これを知った自分は後日、二子玉川の東京公文書館まで足を運び、上記の資料を片っ端から印刷(1枚10円)し『家の大事な記録』として仏壇にとっておきました。因みに自宅に現存する助次郎の名の海苔に関するものは海苔船のエンジンを購入した時の証書のみです。

 ※丹右ヱ門の記事で紹介した証書も、この時に印刷したものです。

 

 

先祖調査するにおいて、まず大事な昔のものをしまっておく仏間に自分の知らないものがまだまだあるのではないかと思い整理・清掃しました。結果、和紙の婚姻控え帳・法要帳・江戸時代からの紙の位牌・賞状・日牌、月牌證(先祖供養の料金書)等が見つかりました。

 

 

ほぼ、お寺のもので牌證・寄付金感謝状が多く見られました。助次郎さんは信仰心がとても強い方だと分かります。確認出来るものは…

 

千葉:成田山新勝寺

神奈川:大山阿夫利神社大雄山最乗寺

和歌山:高野山櫻池院

長野:信州善光寺

三重:伊勢神宮

大森:厳正寺(檀家寺)

 

様々なお寺に貢献された様です。聞くには、昔は漁業町であった風習で豊漁・安全祈願として団体で特定のお寺にお参りに行くというものが多く存在したという事でした。

 

因みに、そのお寺や神社に貢献した・記念式典に参加された時等で石碑が作られる時に名が載ると以前のブログでお話しましたが、証書が多く総代(代表者)もされていたという成田山新勝寺の講、大森新栄講というものが現在でもあります。昔は船で向かったらしいですが、現在では大型バスで向かいます。自分は石碑の存在を調べる上で「これはいい機会だ。」と参加してきました。参加者を見渡すと中々の人数で7、80代の方が主です。(自分[28歳]と一番年が近くて40代の方)

1人で色々な事をするのに慣れている為、苦でも何でもありませんでした。

バスが到着したら昼食をとり、時間内に広い敷地の至る所に存在する石碑を見て周る為早々と向かいます。

 

 

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写真を撮り忘れましたが、本堂の裏で数百という石板があったり、点々とまとまっていたりとそれらを全てを確認しました。期待でワクワクして見回しました。結果…

 

 

 

 

 

 

収穫なし!

 

 

 

 

これは本当にがっかりでした。

 

 

 

 

祖父の名で釈迦堂修復時の寄付の礼状もあった為その周りも見ましたがありません。この為だけに時間とお金をかけて個人で向かわなくて本当に良かったです。

 

因みに、今年は開基1080年祭と語呂が良い時でした。

 

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ふと思い、自宅の資料を確認すると、

 

 

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なんと1000年祭!ちょうど80年前です。

まさか自分の4代下の子孫が同様に年祭に向かうとは思わなかったでしょう!自分からすると高祖父。助次郎さんからすると玄孫です。何とも感慨深いですね。「しっかり子孫は受け継がれていますよ」と。

 

 

 

他にいくつか残されている資料でこのようなものがありました。

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赤十字社に100円(当時:公務員初任給75円)の寄付をされています。社長は、かの最後の将軍徳川慶喜の息子、家達(覚えにくいけどいえさと)です。大政奉還をしなければ16代将軍になったであろう方です。

 

 

 

 

 

 

話は変わり、大森の海苔は昭和になり最盛期を迎え、休みなしで1年中大変でしたが、その分稼ぎもかなりのものでした。地方から年期奉公(年期契約してその家に住み込み、家業の手伝いをするもの)する人も多くいて、中には妾(愛人)を囲う人、よく宴会をされたりと羽振りの良い時代でした。

 

助次郎さんは宴会好きで、自宅の襖を全て外して法事でも何でも芸者を呼んで宴会にしてしまうような豪快な方だったと聞きます。

そして稼いだお金は全て土地購入に当てました。何でも「土地だけは購入しておかなければいけない。土地さえあればいくらでも海苔商売を出来る」との先を見据えた想いがありました。その為、当時は多くの土地を所有されていたのです。

 

しかし悲しいかな、海苔は終焉し、時代は流れ様々な事があり、現在は家の敷地のみ何とか残っています。更に税金やら何やらで大変な現状です。先祖代々の土地を守っていくのは非常に大変な事なのだと感じております。

 

長くなるため、今回はここまで。②に続きます。