大森海苔 丹右ヱ門の記憶

~300年の歴史がある海苔漁場であった大森の過去と現在~

進水祝

ここのところ、三代目の妻の生まれである小松原家にお手紙を送りました。

メールで返事を頂き、とても興味深いお話をうかがいました。



「滑川家の船の進水を祝う手拭いがありますが、お持ちでしょうか?無ければお渡ししたいのですが。」


と。



その様なものは見たことがなかった為に、ぜひとも頂きたいとお願いして送っていただきました。

f:id:nameto:20191116194942j:plain


第一蓬莱丸は、四代目となる祖父が造船したものです。大森船大工の記録によると、昭和34年頃に造船したもので、以前『海苔船』でアップしたものです。

ほぼ、当時のまま保管して頂き、60年経った今でも綺麗な状態でした。本当にありがたいです。

ちなみに、母が昔に見た記憶があるそうで、残っていない現在を考えると年代的にも古くてボロボロになった為に処分されたと思われます。

頂いたものは、当家の歴史資料として大事に仏間に保管しておきます。



ところで、宝船の帆に『∧丹』と記載されています。丹の上の部分は「山形」と呼び、屋号や商標等に使用されているものです。

家印(いえじるし)とも呼び、当家だと丹右エ門なので「ヤマタン」と読みます。他の同姓と混乱しないように屋号をマークにしたものですね。


一般に目につく物で思い当たるのが山形にサで『ヤマサ』です。こちらは商標として使われています。




当家の屋根です。
鬼瓦に家紋の三ツ割木弧。
下の木材(名称はわかりません)にはヤマタンのマークがつけられています。
f:id:nameto:20191116200444j:plain


小松原さんには後日、古い当家に関する写真が残っていないか確認して頂き、当家には何故か残っていない祖父母の結婚の写真を頂きました。

最古のアルバムでも父が生まれた昭和28年からのものしかありません。
昭和27年に自宅で三日三晩祝ったと聞きます。当時の様子の写真、集合写真もあれば、古い分家・親族の人たちも載っただけに残念です。

更に後日、直接お会いしてお話を伺ったりまとめた資料を見ていただいたりしました。2歳で亡くなった祖父の姿やパワフルな現役時代の祖母の話を聞けたりと有意義な時間でした。


やはり、行動してみるにこしたことはありませんね。自分から遠い親族でも、思わぬ資料をお持ちだったり生の話を聞けたりと新たな情報を得ることが出来ます。

ちなみに、高祖父妻の生まれの大山家にも手紙をだし、そちらは分家でしたが当主の方が、本家当主の方へ紹介して頂き、「家系図があったから、探しておきます。」とのことで楽しみに待っている最中です。
面識が無くとも、事情を理解して頂いて協力して頂けるのは嬉しい限りです。